เข้าสู่ระบบ「私は遅らせてもいいと思う」 彼はそう言ってから、一拍置いた。「だが、君はどうしたい」 リリアーナはその時、本当に言葉が出なかった。 どうしたい。 そんなふうに訊かれること自体が、久しぶりだったから。 父も継母も、たいていは「どうあるべきか」を先に言う。 伯爵家にとってどうか。 外聞としてどうか。 令嬢としてどうか。 そういう“あるべき”の中でしか、自分の希望を問われたことがない。 だから「どうしたい」とだけ聞かれると、逆に空白が広がる。 自分の本音を、そのまま口にしていいのだと、すぐには信じられない。「……遅らせるのは、少し怖いわ」 「どうして」 「待つ時間が伸びるでしょう」 「……」 「狙われるかもしれないって分かったあとで、“その日”が先に延びるのは、少しつらい」 そう言ってから、自分で少し驚いた。 こんな弱音を、そのまま口にすると思わなかったからだ。 だがセドリックは「分かった」とだけ言い、そこで会話を終わらせなかった。「では予定通りにする」 「……」 「ただし護衛を増やす。君が待つ時間をこれ以上長く感じない形で」 「……」 その時、胸のどこかが、ひどく静かに揺れた。 以前のように「危険だから遅らせる」で終わらせない。 かといって、こちらの恐れだけを優先して判断を雑にもしない。 意見を聞いたうえで、全体を組み直してくる。 そういう優しさは、派手ではない。 でも、じわじわと効く。 だから怖い。 こんなふうに、少しずつ意見を聞かれ、少しずつ気遣われ、少しずつ体のことを見てもらうことに慣れてしまったら、どうなるのだろう。 今度こそ信じてしまうかもしれない。 今度こそ、この人は変わったのだと思ってしまうかもしれない。 そして、もしまた失ったら。 失ったら、どうするの。 前世の終わりよりもっとひどいかもしれない。 少なくとも、今の自分はもう「愛されていない」と思い込むことで自分を守れない。 知ってしまったから。 あの人が最初から愛していたことも、守るつもりで沈黙したことも、同じ悪夢を見てきたことも。 知ってしまったうえで、また失うのは、きっと前世の何倍も痛い。 * 夕方、侯爵家の書類が届いた。 西の薬草院へ向かうまでの護衛配置表、宿場の変更
寒さもそうだった。 今年の春は遅い。日差しだけは白くやわらかくなっているのに、風の底にまだ冬が残っている。朝夕は特に冷え、庭へ出るだけで指先がじんと冷たくなる。侯爵邸の東庭の東屋で、共闘の話をしたあの日以来、リリアーナは風の匂いに少し敏感になっていた。外の空気は息がしやすい。だが、長く居れば体温を奪う。「それでは足りない」 ある日、東屋で書類を広げていた時、セドリックはそう言った。 西へ向かう際の関所用の通行証と、薬草院での滞在名目の文面を、最終的に侯爵家側で確認してもらう必要があった。伯爵家の書斎で父と向き合うより、外の東屋のほうがましだと、リリアーナが自分で言ったのだ。エマがショールを肩へかけ、炭火鉢も用意した。だから十分だと思っていた。 けれど、セドリックは書類より先に、そのショールの端へ目を止めた。「それでは足りない」 「足りるわ」 「手が冷えている」 「元からよ」 「元からならなおさらだ」 「……」 その言い方が、あまりにも当然みたいで、リリアーナは一瞬だけ返す言葉を失った。 前世では、冷えた手は自分で温めるものだった。 暖炉へ近づく。 湯飲みを抱える。 膝掛けを増やす。 そういう小さな工夫を、誰に言われるでもなく自分で覚えた。 今は違う。 彼が当たり前のように気づく。 そして、当たり前のように指摘する。 ほどなくして、侯爵邸の年嵩の侍女がもう一枚厚手の膝掛けを持ってきた。色は落ち着いた青灰で、季節の花も飾り糸もない、実用品としての布だ。だがその素っ気なさが、逆に気を遣わせない。「勝手ね」 「寒いのは事実だ」 「そういうところ」 「何だ」 「以前は、こういうこと、一度も言わなかったでしょう」 「……」 その問いに、セドリックは一拍だけ沈黙した。 そして、ごく低く言った。「以前は、言う資格がないと思っていた」 「今はあると思うの?」 「思わない」 「じゃあどうして」 「……黙って見ているほうが、もっと悪いと分かったからだ」 その答えが、喉の奥に細い棘のように残った。 優しい。 でも、簡単に受け取れない。 受け取ってしまえば、昔の冷たさまで少しだけ説明がつくような気がしてしまうから。 説明がつくことと、許せることは違う。 そう自分へ何度も言い聞かせなければな
それは、大きな出来事ではなかった。 花束のように目立つものでも、夜会の真ん中で腕を取られるような劇的なものでもない。誰が見ても分かる「特別」ではなく、見落とそうと思えばいくらでも見落とせるような、小さな変化ばかりだった。 けれど、そういうものほど、気づいてしまうと厄介だった。 朝、部屋へ届くお茶の温度が、以前より少しだけぬるめになった。 最初は偶然だと思った。エマが気を利かせただけかもしれないし、侯爵邸の女医が「胃に負担をかけないように」と言ったからかもしれない。だが二日、三日と続くうちに、それが偶然ではないのだと分かった。熱すぎる飲み物を、リリアーナは昔から少し苦手としていた。口をつけるまでに間が要る。前世の食卓では、それを誰も気に留めなかった。冷めるまで待てばいいだけのことだと、自分でもそう思っていたから。 今は違う。 気づけば、出されるお茶は最初から少しだけ温度が落ちている。 温かいが、すぐに飲める温度。 誰かが、気にしている。 食事もそうだった。 以前のセドリックは、リリアーナが食べているかどうかを見ていたのか見ていなかったのか、判然としない時が多かった。前世では、その判然としなさ自体が苦しみだった。見ていても何も言わない。気づいていても触れない。食べられない日も、食卓を立つ背中へ視線が落ちるだけで終わる。 今は違う。 同じ席につく機会があれば、彼はまず料理ではなく、リリアーナの皿を見る。 パンを半分しか取っていない。 スープに口をつける前に、先に水を飲んだ。 肉へナイフを入れたまま、数秒止まった。 そういう小さな兆しを、今の彼は見逃さない。「それは無理に食べなくていい」 ある日の昼、そう言われたのは、肉の香りだけで胃が少し重くなった時だった。 伯爵家と侯爵家の間で、出立の日程を表向きにどう処理するかという話し合いがあり、珍しく同じ卓で昼食を取ることになった。父も継母も、最近の「関係修復らしい」噂を利用したいのか、表向きは以前よりも穏やかな顔を作っている。けれど、その穏やかさの中にある計算の匂いは、今のリリアーナにはもう隠しきれていなかった。 銀の蓋が開かれ、肉の温かい匂いが立った瞬間、胸の奥が少しだけむかついた。昨夜は眠りが浅く、今朝もパンと薄いスープしか入っていない。食べなければいけないと思うほど、
「何に怒っているの」 「怒ってはいない」 「嘘」 「……」 「それに、これはあなたの立場で口を出す話ではないわ」 「君の移動の話だ」 「ええ。でも、薬草院の人と私が話しているところへ来て」 「……」 「不慣れな男を近くへ置くな、なんて」 「……」 「それ、何?」 問いを向けた瞬間、セドリックは黙った。 否定すればいいのに、できない。 それだけで答えになっている。 リリアーナは、ふうと息を吐いた。「……本当に、子どもみたい」 「……」 「今まで何も言わなかったくせに」 「……」 「そういうのだけ出すのね」 セドリックの喉が動く。 言い返したいのではない。 自分でも自覚があるのだろう。 みっともないと。 でも、抑えきれないのだ。 だから余計に滑稽で、そして少し切ない。 カイは気まずさを隠しきれないまま、それでも礼儀正しく頭を下げた。「リリアーナ様、必要書類は置いていきます」 「ありがとう」 「叔母上には、到着の見込みをもう一度だけ文で知らせてください」 「ええ」 「侯爵様」 最後に、カイはセドリックへも一礼した。「ご懸念は理解いたしました。ですが、私に他意はございません」 「……」 「リリアーナ様が安心してこちらへ来られるよう、必要な準備をするだけです」 「……そうか」 それ以上の悪意は返さなかった。 だが、声音はまだ冷たい。 カイが去り、扉が閉まる。 途端に、部屋の中の空気が別の意味で重くなる。 エマが「お茶をお持ちします」と言ってすぐに下がってくれたのは、たぶん最大限の配慮だった。 残されたのは、リリアーナとセドリックだけ。「……ねえ」 リリアーナが先に言う。「自分で分かってる?」 「何を」 「今、ものすごく嫉妬していたこと」 「……」 やはり黙る。 その沈黙が、否定より雄弁だ。「信じられない」 「……」 「あなたが、そういう顔をするなんて」 「……」 「しかも、今頃」 その“今頃”に、ひどく色々な意味がこもる。 前世で何も言わなかった年月。 今世でようやく表に出てくる感情。 遅すぎる独占欲。 全部だ。 セドリックはしばらく窓の外を見た。 庭は静かで、風だけが枝を揺らしている。 その沈黙が長くなりすぎたところで
カイがその空気を読んだらしく、すぐに立ち上がって一礼した。「初めてお目にかかります。西丘薬草院の事務を預かっております、カイ・フォルネと申します」 「……ヴァレンティア侯爵だ」 「お噂はかねがね」 「そうか」 短い。 冷たい。 外から見れば、いつもの侯爵だ。 だがリリアーナには分かった。 これは明らかに機嫌が悪い。 驚くほど露骨だった。 カイは気づいているのかいないのか、書類を軽く整えながら言った。「ちょうどリリアーナ様と、移動書類の確認をしていたところです」 「そうか」 「こちら側の手配は思った以上に煩雑で」 「そうだろうな」 「ですが、だいぶ整理できました」 「……」 セドリックは返事をしない。 いや、返事はする。 だが、あまりにも短い。 リリアーナは内心で少しだけ目を見開いた。 この男がここまであからさまに不機嫌を出すのを、初めて見る。 前世でも今世でも、苛立ちを押し込めて冷たさへ変えることはあった。 でも今のこれは、それよりもっと幼い。 まるで、自分の知らないところで誰かに居心地よく話されるのが気に入らない子どもみたいだ。 そう思った瞬間、少しだけ可笑しくなった。 だが同時に、やはり腹も立つ。 何その顔。 今まで感情を押し込めてばかりだったくせに、そこでそういうものを出すの。「侯爵様も、何かご確認が?」 カイが、ごく自然な調子で問う。 うまい。 相手の冷たさをそのまま受けず、あくまで話へ引き戻そうとしている。 文官として、人の機嫌を無用に刺激しない処世なのだろう。「ある」 セドリックは答えた。「出立の時刻だ」 「それも先ほど話していたの」 リリアーナが言うと、彼の視線がこちらへ来る。 その目が、妙に鋭い。「そうか」 「ええ」 「詳しく」 「どうして」 「護衛の配置を調整する必要がある」 「護衛の件なら、私が」 カイがそう口を挟みかける。 その瞬間、セドリックの目がはっきりと冷たくなった。「あなたが?」 低い声。 静かだが、刺すようだ。 カイは少しだけ驚いた顔をしたものの、落ち着いて答える。「はい。西側の道は、こちらの護衛より土地に慣れた者のほうが適しておりますので」 「……」 「薬草院からも二人ほど迎え
* その日の午後、カイ・フォルネ本人が王都へ来た。 予想外だった。 手紙の中に、今日か明日には王都側の役所へ寄る予定があり、もし差し支えなければ必要書類の確認に立ち寄りたい、と追記があったらしい。父は外出中、継母は人を選ぶような茶会の最中で、こういう実務的な応対には向かない。だからリリアーナが直接会うことになった。 応接間ではなく、東向きの小さな客間が使われた。 春先の白い光が柔らかく入り、壁紙の淡い色をより静かに見せる部屋だ。 侯爵家ほど整いすぎてはいない。 伯爵家らしい控えめな格式がある。 今のリリアーナには、その少しだけ肩の抜けた感じがむしろ落ち着いた。 カイ・フォルネは、思っていたより若かった。 二十代半ばほどだろうか。長身ではないが、背筋がよく、書類を扱う人間らしい無駄のなさがある。茶色がかった黒髪は短く整えられ、目元は涼しい。文官らしい端正さの中に、田舎の風を知る者のやわらかさが混じっていた。服装も上質ではあるが華美ではなく、王都の貴族男たちのような見せびらかす匂いがない。 何より、最初の一礼がよかった。「初めてお目にかかります。カイ・フォルネと申します」 深すぎず、軽すぎず。 相手を令嬢として尊重しながら、それ以上に“これから話す相手”として自然な礼だった。「リリアーナ・エヴェルシアです」 「叔母上から、あなたのことは少し伺っております」 「……良い意味で?」 「ええ。強情で、気丈で、でも本当はよく眠れていない方だと」 「叔母様ったら」 思わずそう返してしまった時点で、自分でも少し驚いた。 初対面の男相手に、こんなに早く肩の力が抜けるとは思わなかったからだ。 カイは微かに笑った。「怒られそうですが、私も同感です」 「会ったばかりなのに?」 「会ったばかりだからかもしれません」 「それ、口説き文句のつもりなら点数は低いわ」 「それは残念です」 「残念がるのね」 「せっかく王都まで来たので、最初に嫌われるのは避けたいところです」 その言い方が、軽いのに不快ではなかった。 王都の男たちのように、相手を試す軽口ではない。 緊張をほどくために、少しだけ空気を緩める話し方。 そういう人なのだと、数往復で分かる。 話はすぐに本題へ移った。 滞在名目の書類。 薬草院
最初に戻ってきたのは、痛みではなく、冷たさだった。 骨の奥へ、針のように細く、しかし容赦なく差し込んでくる冬の冷たさ。肌の表面ではなく、血の流れそのものが凍っていくような冷えだった。指先はとうに感覚を失っていたはずなのに、なぜか唇だけがひどく寒かった。息を吸おうとしても胸がひしゃげたように動かず、喉の奥では鉄の味がした。鼻先を掠めていくのは、夜気に濡れた石畳の匂いと、花壇の土の湿った匂いと、そして、濃く、温かく、気持ちが悪いほど甘い、自分の血の匂い。 ああ、死ぬのだ。 その時のリリアーナは、驚くほど静かにそう思っていた。 怖くないわけではなかった。怖いに決まっている。まだ二十九だっ
リリアーナ・エヴェルシア年齢:20歳スタート身分:エヴェルシア伯爵家長女外見:蜂蜜色の長い金髪、柔らかな翡翠色の瞳。白い肌に華奢な体つき。儚げな美貌だが、目の奥には芯の強さが宿る。淡いピンクや生成りのドレスがよく似合う。性格:穏やかで礼儀正しいが、ただ耐えるだけの女性ではない。追い詰められるほど静かに覚悟を固めるタイプ。人の悪意にも鈍くはなく、見て見ぬふりをしてきただけ。長所:忍耐力、気配り、家政と帳簿の管理能力、薬草知識、社交の場での観察眼など。短所:一度情をかけた相手を簡単には切れない。自分の痛みを後回しにしやすい。セドリック・ヴァレンティア侯爵年齢:27歳スタート身分
部屋へ戻ってから、リリアーナは窓際に立ち尽くしていた。 外では風が少し強くなってきて、庭の若木が枝先を揺らしている。白い洗濯布がはためく音が、遠くで乾いた鳥の羽音と重なった。日差しは明るいのに、胸の中は晴れない。むしろ、時間が近づくほど息苦しさが増していく。 侯爵本人が来るかもしれない。 その事実が、想像以上に彼女を乱していた。 会いたくない。見たくない。声を聞いたら、きっと前世の記憶が一気に押し寄せる。 けれど、会わなければ何も分からない気もした。彼が本当に前世と同じなのか、それとも違うのか。最後に見た涙が、ただの死に際の錯覚ではなかったのか。 なぜ知りたいのだろう。 知っ
焼きたてのはずなのに、味がしない。むしろ、喉が拒む。飲み込むたびに胸が詰まる。 父は新聞を畳み、ようやく本題へ移った。「本日、ヴァレンティア侯爵家から使者が来る。調印前の最終確認だ。侯爵ご本人が同行される可能性もある」 「ご本人が?」 声が掠れた。 前世ではどうだっただろう。思い出す。たしか、使者だけだった。セドリック本人は調印の日まで現れなかったはずだ。あの人は最初から、この婚姻に個人的な熱意など持っていなかった。だからこそ、それが普通だった。 なのに、今回は違うかもしれない? なぜ。「ええ、そう伺っておりますわ。侯爵様はお忙しい方ですのに、ありがたいことですこと」 「本







